校章の由来については,実り豊かな米俵がどっしりと生活の基盤を象徴し,成長するほどに常に謙虚な生き方を願って稲穂が左右にたれている。恵まれた自然の中で平和な俵中生の息吹を念願しつつ創造されたものである。校訓は,@創造(基礎・基本を身につけ,生涯にわたって意欲的に学び続ける生徒),A奉仕(自他を敬愛し,勤労を尊び,奉仕的に活動する心豊かな生徒),B根性(ねばり強く,最後までやり抜く気力と体力をもった生徒である。

 本校は,加計呂麻島のほぼ中央に位置し,波静かな大島海峡を臨む山紫水明の地,俵集落に昭和23年4月10日創立された。町役場所在地から海路約10qの距離にあり,天然の良港である瀬相をはじめ,風光明媚な自然環境に恵まれた8集落(俵,瀬相,三浦,武名,知之浦,須子茂,嘉入,西阿室)と,3小学校(俵小学校,須子茂小学校(休校),西阿室小学校)から校区を形成している。なお,昭和31年9月町村合併となり,旧実久村から瀬戸内町となった。当時,生徒数200余名を数え,本校生徒数の最も多い時代であった。

 近年,交通網が整備され,中心地古仁屋間に「フェリ−かけろま」が昭和53年10月に就航してからは,道路舗装も進み,校区内はほとんどがバス路線で結ばれ,交通の便も良くなってきた。

 校区民は,極めて温厚・人情味豊かで,学校の呼びかけには積極的に協力し,地域の中の学校として期待が大きい。また,保護者の教育に対する関心は非常に高い。

 地域の行事としては,豊年祭りが各集落で盛大に行われており,また,町民体育大会では,実久地区として,過去何回も優勝を飾るなどまとまりが良く,地域行事に熱心に取組む地域である。平成4年4月には,俵コミュニティ−センタ−及び,民具資料館が完成し,2小学校と郵便局と共に文化の中心的役割を担っている。

 昭和23年に学校が創立。平成10年2月には,創立50周年記念式典が盛大にとり行われた。

 学校の教育目標は,「生きる力を備え,心豊かでたくましく,夢実現に向けて努力する生徒の育成」であり,その教育目標の達成のために,生徒会のボランティア活動として朝作業や朝読書の実施,加計呂麻ハーフマラソン大会のコース清掃,社会福祉施設の訪問などを行っている。また,板付舟による大島海峡横断やシーカヤック教室,校区駅伝大会などの特色ある教育活動も行っている。

 さらに,生徒たちの手による学級園の整備,創意の時間を利用した緑化活動を行い,校歌の一節「花かおる俵中」のごとく一年中花々に囲まれた素晴らしい環境を作り上げるために学校全体で取り組んでいる。